院長挨拶
感謝の気持ち
昭和38年6月、梶川眼科医院は、父である梶川一平が開業しました。親子二代にわたって50年という長い歴史を刻む間、とても多くのスタッフとの素敵なご縁に恵まれました。先代院長と未熟な私をずっと支え続けながら、苦楽をともに仕事をしてくださったスタッフをはじめ、スタッフの家族、患者様、諸先生方、取引先、私が心の師と仰ぐ方々など皆様のおかげです。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
一生のおつきあい
父は、体がボロボロになっても休むことを嫌い、毎日信じられない程多くの患者様を診察していました。"怖い医者"というイメージがあったようですが、あれだけ大勢の患者様が来てくださるということは、父がとても信頼されていた証だと思います。その信頼関係は、私の代になって壊してはいけない。何とか守っていかなければと思いました。ありがたいことに、父の代から30年間も通院し続けてくださる患者様もいらっしゃいます。そんな風に何十年にもわたって一生のおつきあいができる患者様が、少しでも増えたら嬉しく思います。
みんなの幸せを考えて
患者様を幸せにするためには、まず私の身近にいる人を幸せにしなければなりません。それは家族です。家族を幸せにすることが出来たら、スタッフも幸せに出来る。スタッフが幸せになれたら患者様も幸せになれる。そして最終的に、地域の方々も幸せにすることが出来る。幸せのリングが広がっていくのです。リングの中心にいるのは私です。まずは、私がイキイキと輝かなければなりません。院長が輝けば、スタッフも医院も輝き、地域が輝く。私はリーダーとして、もっと自己を磨いていきたいです。そして、スタッフの幸せや自己成長のためにサポートしていきたいと思っています。
“チーム梶川”への想い
平成22年、私を含めた医院のメンバーを"チーム梶川"と命名しました。チーム梶川が輝くために、今様々なプロジェクトを実行しているところです。少しずつではありますが、チーム梶川は前進出来ています。そして、チーム梶川には、まだまだ伸びしろがあると思っています。いずれは、スタッフが、私の想いを受け取って、「こんなことをやってみよう!」と自ら声を上げてくれるような、そんな日が来ればいいと願っています。
今後さらなる未来を見つめて…。院長、スタッフ、患者様、老若男女問わず、皆が笑顔で、感謝の気持に溢れ幸せになれる医院づくりを目指して、そして、スタッフの方々に「チーム梶川は最高!!」「チーム梶川のメンバーで良かった」と思われるよう頑張って参ります。
当院のウリ、取り組み
当院は、眼科専門医に認定されている院長が、緑内障をはじめドライアイや加齢黄斑変性、白内障、コンタクトレンズの処方など、さまざまな眼科診療に対応できるように検査機器などを揃えています。そして、スムーズで安心、安全な検査、治療を心がけています。また、時代の流れにもいち早く対応し、最新の状態で患者様をお迎えできる環境を整えてきました。手術やセカンドオピニオンを必要とされる患者様には、密に連携している近隣の病院へのご紹介も行っています。
当院が最も心がけている事は、"「親切」「丁寧」「笑顔」をモットーとした、心のこもった眼科医療"です。常に患者様の立場に立ってニーズを先取りし、いつも笑顔で、アイコンタクトをしっかり取って、お話に耳を傾け、ゆっくりと分かりやすい言葉で説明するようにしています。平成21年からは「患者様アンケート」を実施し、その結果を診療や患者様への対応に活かせるよう努力も行っています。
院内はバリアフリーで、また待合室は院長の趣味であるマリンアクアリウムが設置された癒される空間です。椅子は、ご高齢の患者様でも立ち上がりやすいよう、座高が高めのものを採用。待ち時間を少しでも有意義に過ごしていただけるよう、モニターを3台設置して眼科情報や医療ニュースを放映したり、現在の待ち時間をご覧いただけるよう工夫を行っています。また、予約システムも導入し、待ち時間対策として、診療時間が来たらメールでお知らせする「お知らせメール」やWEBで診療の順番が確認できる「診療順番WEB」のサービスも開始しました。
地域に向けては、眼科ではまだ少ない往診や在宅医療にも力を入れています。また、平成25年には、地域の方に喜んでいただけるよう、「ふれあいイベント」を実施しました。眼科にまつわるクイズや緑内障に関するセミナー、噺家さんによる寄席などを開催し、皆様に喜んでもらいました。今後もこういったイベントを積極的に行っていくつもりです。
今後も梶川眼科医院は、患者様に安心して治療を受けていただけるよう"チーム梶川"が一丸となります。「来院して良かった」「また来院したい」と思っていただける医院を目指していきます。
プロフィール
学歴および職歴
昭和59年3月 | 川崎医科大学卒業 |
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昭和59年6月 | 兵庫医科大学・眼科学教室入局 |
昭和60年4月 | 甲南病院・眼科採用 |
昭和61年4月 | 兵庫医科大学・大学院入学 |
平成2年3月 | 兵庫医科大学・大学院博士課程修了 |
平成2年4月 | 兵庫医科大学・眼科学教室助手採用 |
平成3年5月 | 梶川眼科医院勤務(B会員) |
平成5年5月 | 先代院長逝去に伴い梶川眼科医院院長を継承し、現在に至る。 |
マイ・ヒストリー
- 幼稚園時代
父から二重まぶたの手術を受ける。 - 小学校時代
中耳炎にかかったことをきっかけに、漠然と耳鼻科の先生になりたいと考える。 - 中学校時代
公立高校を受験するための予行練習のつもりで、川崎医科大学付属高校を受験。倉敷まで家族4人、旅行気分で訪れて受験すると、予想に反して見事合格。「医師になるかもしれない」というイメージがこの時初めて生まれる。 - 高校時代
全寮制&バリバリの体育会系であるサッカー部で、厳しい上下関係を叩き込まれ、人間性を鍛えられる。 - 大学時代
大学2回生の時に初めての解剖実習で、「ご遺体を提供していただいたのだから真剣に勉強しなければならない」と前向きなスイッチが入る。6回生の進路選択で、眼科医になることを決意。当時は、手術の上手な医師になることが目標だった。 - 兵庫医科大学 眼科学教室時代
交通事故で、片目は失明、もう片方の目も視力が回復できるかどうか分からない非常に難しい状態の患者様を担当。つらい状況に遭われた患者様とコミュニケーションを深めていく中で、患者様の心のケアの大切さを思い知る。 - 梶川眼科医院勤務医時代
あまりの患者様の数に驚愕。父との診察スタイルの大きな違いに戸惑う。そのことがもとで、患者様やスタッフからクレームを受けることもあり凹む。 - 梶川眼科医院院長時代
平成5年5月、先代院長逝去に伴い梶川眼科医院院長を継承。50歳の時、リーダーとしてのあり方を反省。「スタッフを幸せにするためには、まず自分が変わらなければ」と、自己実現に向け行動開始!! 現在に至る。
所属部会
日本眼科学会
称号および資格
医学博士、日本眼科学会認定医
- 生年月日:昭和34年6月
- 血液型 :A型
- 性 格 :基本的には真面目(時に壊れる)
頑固(家内やスタッフは相当苦労しているかも?!)
天然(周囲からはそう思われているらしい) - 趣 味 :サンゴ・海水魚飼育、スキューバダイビング、テニス、旅行、 野球観戦(暇を見つけて甲子園球場にも出没。勿論”虎党”。)
沿革
梶川眼科医院は、昭和38年6月に初代院長・梶川一平が微力ながらも地域医療に貢献するために板宿でその産声をあげたのです。 その時、私はまだ何も解らない幼稚園児。
昭和58年、神戸市都市計画のため診療所兼住居は、取り壊されることとなりました。長年住み慣れた愛着のある建物が、壊されていく様は相当辛かったと両親から聞いております。このため、数年間の仮設診療所での診察を強いられました。都市計画後、幼年時代に私が走り回った昔の面影はなくなり、下町の色濃かった板宿も近代的な商店街へと変貌を遂げていったのです。
- 平成3年5月:初代院長の体調不良により、大介B会員勤務。
- 平成4年7月:コンピューターには全く無縁であった当院にセレプトコンピューター導入。
- 平成7年9月:医薬分業のため院外処方箋発行へ変更。
- 平成4年 :主に白内障日帰り手術を行うために手術場の開設。
- 平成5年5月1日:初代院長・一平、死去。
- 平成5年5月2日:大介、梶川眼科医院を継承し2代目院長就任。
- 平成7年1月17日:あの悪夢の阪神大震災。。。
当院では、人的被害はなかったものの全焼・半壊認定を受けられたスタッフもおられました。交通手段がなく、やむを得ず退職となったスタッフも。幸い建物の被害はまだ軽微だったので、震災3日目から投薬のみ開始。当時、待合室をボランティアの方の寝泊まりに使って頂いたり、自衛隊からの救援物資置き場になっていたり。板宿小学校でのボランティア活動に参加するも自分の非力さを痛感。。。
- 平成16年1月:患者管理システムの導入。
- 平成16年11月より週3日(火・金・土曜日)の予約診開始。
- 医院の都合により手術場を閉鎖。
- 平成17年4月:薬事法改正によりコンタクトブースを開設。
- 平成22年11月:待ち時間対策として「お知らせメール」「診療順番WEB」のサービス開始。
患者さまへのメッセージ
最近では、テレビ番組でも医療を扱った内容のものがあり、番組を見て「もしかしたら…」と診察に来られる方もいらっしゃいます。眼の病気に関しては、ハッキリとした自覚症状がないものも多く、ご自身で視覚異常に気づかない方が多いのです。早期発見・早期治療を行うことで、完治できるもの、進行を遅らせることができる病気もありますので、少しでも気になることがあれば、診察にきていただけたらと思っています。
眼精疲労なども、単に「眼が疲れた」と思っている方もいらっしゃいますが、ぜひ診察をおすすめしたいものです。加齢によって引き起こされる病気や症状もありますので、「40歳をすぎたら、年に1回は眼科検診を」。